2019年05月17日

隠された古代日本史 土地の所有が大問題③

 出雲海軍が先導する大船団は、美保湾を出て西南に向かいました。

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次回から、邪馬台国・日霊女(ヒミコ)のお話が出て参ります。
ではまた来週、金曜日に更新いたします。

2019年05月10日

隠された古代日本史 土地の所有が大問題②

 その当時の出雲国の主食は、「粟」「赤米」と記されておりますが、陸稲でした。水稲米に比べたら価値がだいぶ落ちます。

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饒速日尊(にぎはやひのみこと)は、神武天皇のお父様にあたります。

では、この続きはまた来週金曜日に更新いたします。

2019年04月26日

隠された古代日本史 土地の所有が大問題①

 水田を作り、これを「シマ」と呼び、縄張りしたことから、新旧の人々の間に土地問題が浮上して来ました。

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ナワバリやシマの語源のお話でもありました。

次回は、5月10日に更新いたします。

2019年04月19日

隠された古代日本史 米の支配権―五公五民の成立④

 倭族の強さは、米の支配を確立したことでした。後世に年貢といわれた、穫れ高に対して五公五民または四公六民で米を納めさせる方法です。凶作の年には、種籾の価値に相当する物を農民が差し出さなければ、翌年の種籾の割り当てがないという事態もあったでしょう。長い年月の間には、涙の出るような人間たちの助け合いの物語もあったでしょうね。
 

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次回からは、土地問題についてです。
また来週、金曜日に更新いたします。

新しいDVD「長編歌謡浪曲・台詞入り歌謡曲 ベスト映像集」が17日にリリースされました。
昨秋発売のDVD「歌藝~極め付きのステージ」も好評発売中です。
どうぞお楽しみくださいませ!!

2019年04月12日

隠された古代日本史 米の支配権―五公五民の成立③

 一万四千年前、中国の長江文明・黄河文明の時代、水田の広さは一区画が三坪くらいだったそうですが、日本に渡って来た頃は米の文化も進んでいて、一区画が大分広くなっていたのではないでしょうか。

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社会の成り立ちの様子ですね。
「水田」で思い出す三波春夫のエピソードがあります。
1993(平成5)年のお米の不作はご記憶の方も多いと存じますが、その年の夏の終わりごろの出来事です。
地方公演先の移動のクルマの窓から田んぼを眺めていた三波が、「あれー、これは大変だ」と呟いたのです。「何がですか?」と訊くと、「稲の状態が悪すぎる。これはまずいよ」と。
米どころ新潟の生まれですし、16歳から日本国中を巡る仕事でしたし、また先述しましたとおり『米と日本人』というタイトルの講演もしていただけあって、敏感に見て取った田んぼの危機でした。
案の定、その秋はたいへんな不作となりましたから、テレビ局のお弁当の白飯もタイ米になってしまって、あらためて日本のお米の美味しさを思い知ることになったのですが、この先も異常気象など何が起こるか分かりませんから、油断できないことですね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年04月05日

隠された古代日本史 米の支配権―五公五民の成立②

 そこへ、こんなにおいしい「米」がやって来て、しかも長期保存ができる穀物だと知って二度びっくり。

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日本のお米を有難く、大事に食べないと! という気分になりますね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年03月29日

隠された古代日本史 米の支配権―五公五民の成立①

 お米を栽培する弥生人、つまり日向の国・邪馬台国の人々の食事は一日二回。玄米飯をしっかり噛んで、副食物を適当にとれば良かったようです。

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 食料の確保に大変な苦労をしているところに稲作が入ってきて、人々はどうなったでしょうか。

 この続きはまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年03月22日

隠された古代日本史 日本にお米を運んだ人々⑦

 何かに書きつけて記録を残してくれていたら良かったのにと、今にして思えば本当に残念ですが、戦乱を命からがら逃れて来た民族としては証拠を残すと、どこから敵が現れて皆殺しにされるかもしれないという懸念があったと考えるべきでしょう。

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呉服の話となりますと…、改めてお伝えしたいのは、三波春夫は男性歌手で初めて着物を着た歌手である、ということです。
昭和32(1957)年のデビュー当時、男性歌手は全員がスーツ姿でした。三波春夫も最初はスーツを着て歌っていたのですが、それまで浪曲家として着物で舞台に立って、着物を着ているからこその所作をして歌い語っていた藝がスーツでは生かすことが出来ませんでした。
これでは個性が無い、と考えて、妻の提案で着物を着て舞台に立ったところ、お客様にたいへん喜ばれ、着物を着続けることを決心したのです。
大きな舞台に一人立って歌を歌い、お客様に楽しんで頂くには、地味な着物では舞台映えがせずパワー不足となります。ですから、金箔や銀拍、ラメや刺繍など、着物の絵柄にもいろいろな工夫をして、三波春夫スタイルが確立していったのでした。
しかし、着物を着るからには姿勢や所作が板についていることが大事ですから、着物を着ようとする歌手はそのあたりの修練が必要不可欠である、と、著書に書き残しております。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年03月15日

隠された古代日本史 日本にお米を運んだ人々⑥

 日本に辿り着いた倭族は、その辺りを本拠地としたようです。

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米の話で思い出すのは、三波春夫が著述したり、語ったりしていた「握り飯」の思い出です。
昭和19年に出征した翌年、陸軍歩兵として戦場を駆け巡っていた時期のある日、普段は口にすることが全く無い「握り飯」が1個ずつ振舞われたとのこと。
それを食べたら、身体にチカラが入ったように気力と体力を取り戻すことが出来て「よし!」と覚悟が出来てまた、戦場に向かうことが出来たそうです。
お米、ご飯のチカラを思い知ったという経験談でした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年03月08日

隠された古代日本史 日本にお米を運んだ人々⑤

 さて、皇室の御先祖は天照大神と誰でも知っておりますが、天照大神(大日霊女貴尊(おおひみこむちのみこと))の御先祖たち、即ち中国江南地方の倭族の人々が、平和の天地を求めて南九州へ辿り着いたのはどのくらい前かと本を開いてみますと、中国が大争乱の時代、紀前七七〇年から五百五十年間も続いた春秋・戦国時代でした。

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お蚕、稲作、まさに衣と食で、大事だったんですね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。