2018年06月15日

先代旧事本紀大成経――とは何か⑤

 話が広がりますが、山鹿素行の遠祖は山鹿兵藤次秀遠という山鹿党の頭領で、八百年の昔、三千の軍勢を率いて源平決戦の壇ノ浦で平家軍として戦いながらも、安徳帝を守って船団を組み密かに越後へ落ち延びて来たと伝説にあり、しかもその土地は私の遠祖に当たる大納言・平頼盛の所領地でした。

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人は、過去からの歴史を繋いで生きるものだと考えたら、やっぱり人生の困難を乗り越えながらも真っすぐに、イッショケンメイに生き抜かなきゃね、と思います、ね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年06月08日

先代旧事本紀大成経――とは何か④

 江戸時代の学者では「貝原益軒」ゃ「熊沢蕃山」の名がありますが、私が最も興味をひかれたのは赤穂浪士仇討ち事件、即ち忠臣蔵の武士道精神に深く寄与したと言われる軍学者で思想家の「山鹿素行」が、五十七歳であった延宝六年十二月二日に、この大成経を一日にして写本したという驚異的な記録があることです。

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山鹿素行について、三波春夫は著書「真髄 三波忠臣蔵」に詳しく書いております。三波論では、“山鹿素行は寛文6月年(1666年)に幕府への批判書を出し、赤穂に送られて閉じ込められること9年間。その間、赤穂藩の学問の師となりましたが、それによって赤穂の武士たちの中に育った人としての気概が、のちの赤穂浪士の仇討ちへとつながった”としています。

ではまた、来週金曜日に更新いたします!

2018年06月01日

先代旧事本紀大成経――とは何か③

 しかし、この大成経は百年後の『日本書紀』『古事記』作成の原本とも言える参考書であったのは間違いないと思われ、写本は、各地の名家や豪族、神社の奥深くに秘蔵書として大切にされてきました。

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三波春夫の生まれた家は、村の本屋さんでした。(少々の瀬戸物も置いていたり、印刷の請負もしていたそうです)
その影響もあってか、歴史を題材とした歌を書く為もあったりで、読書を欠かさない暮らしぶりでした。
インタビューなどで読書について語るとき、「男の顔は、3日、本を読まないと、すすける、というそうですよ」と毎度言っておりました。笑。そして、「浅はかな、詰まらぬ本を読んだりすると、その本を放り投げたくなりますね」と…。過激…。
本、というものを大事に考える人でした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年05月25日

先代旧事本紀大成経――とは何か②

 ところで書物と言えば大切なのは、”紙”ですが、中国で紙が発明されたのは、西暦一〇五年と記録されているようですが、日本にその製法が伝わったのは太子の時代(七世紀)でした。百済の僧で曇徴という人が指導し、四つの製法を伝えました。 「雲紙(厚紙)「縮甲紙」「白柔紙」「薄紙」という順番です。

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“曇徴”はドンチョウ、“薨去”はコウキョと読むそうです!

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年05月18日

先代旧事本紀大成経――とは何か①

 聖徳太子の著作物と言ってもよい、日本最初の歴史書が「先代旧事本紀大成経」です。

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お知らせです!
20日(日)13時~15時30分は、CS「チャンネル銀河」で『三波春夫 追善 新潟記念公演 山内惠介・市川由紀乃・三山ひろしスペシャルコンサート』をどうぞご覧ください。
昨年にBSで放送されたものから、また一段とグレードアップした3歌手のステージとなっております。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年05月11日

日本の織物の神様―秦河勝―②

 秦河勝の知力と財力は、日本初と言うべき歴史書『先代旧事本紀大成経』を完成させました。太子はこの中で、国の肇めを、人が誰もいなかった天地混濁の「神代」という時から解き明かしておられますが、聖徳太子の最高ブレーンのお方であった秦可勝の功績は記憶しておいてよいと思います。

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太子と河勝さんは、どんな調子でお話ししていたんでしょうね…。
三波春夫は、『長編歌謡浪曲』で、織田信長や大石内蔵助や勝海舟ほか、沢山の人物になってセリフを語っていますが、もしこのお二人が登場する長編歌謡浪曲を作ったら、どんな声色でセリフを演じただろう…と、ふと思いました。笑。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年04月27日

日本の織物の神様―秦河勝―①

 歴史書の話に入る前に、ある人物を紹介しておきます。 
 実は、太子のパトロンというか片腕というべきか、富豪の文化人がお側におりました。

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秦河勝さんのお話は、次回も続きます。
更新は、1週空いて、5月11日です!
よろしくお願いいたします!

2018年04月20日

隠された日本古代史

 太子憲法全八十五条。いかがでしたでしょうか。条文の解説については、違う意見をお持ちの方もいらつしゃるかと思いますが、あくまでも私の解釈を綴ったものですからお許しを。

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 三波春夫の“歴史の観方”は、アタマではなく心で、その人の生き方を読み解く方法だったと思います。学閥に縛られたりしない市井の研究者としての三波論説を、引き続きお楽しみくださいましたら幸いです。

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年04月13日

聖徳太子憲法を読む 籠の品道 釈氏憲法  第十六条⑤

籠の品道 釈氏憲法  第十六条⑤

《三波春夫の解説》
 この原田学説に納得してしまうのは、地上に物質が豊かな暖期と、稔りの悪い寒冷期とでは人間の心のあり方に違いがあるのは当然であろうと思うからです。寒冷期なればこそ宗教が人を救う役目を果たしたのでしょう。 

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 太子憲法の解説も、今回で終わりです。
 次回からは、『隠された古代日本史』と題して、三波論説が続きます!

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年04月06日

聖徳太子憲法を読む 鼎の法道 釈氏憲法 第十七条④

鼎の法道 釈氏憲法 第十七条④

 そこで、三聖人が生まれ人々を導く法を説いた時代を見てみると、釈迦や孔子の時代は大寒冷期、キリストの時代も大寒冷期にあたっていて、大勢の人々が食べる物がなく寒さに震えているような時代でした。社会全体も音立てて軋むほど揺れていたと思われます。

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 三波春夫は“歴史”を観るときに、当然のことながら、人が生きた姿、生きた日々としてとらえました。
 そういう観点から、三聖人を素直に描いている文章だと思います。特に釈迦が、「自分を救うのは自分」とおっしゃったと書いているところに着目してしまいます。
 三波春夫の信条も、神仏は“敬って、恃まず(うやまって たのまず)”でした。

 ではまた、来週金曜日に更新いたします。