2017年01月20日

聖徳太子憲法を読む 車の司道 儒士憲法 第十二条

車の司道 儒士憲法 第十二条

『神在ますが如しと謂うはここに亡きを以て、
ここに在りとなす句の氣なり。
是れ幽精冥霊を紫に歸し黄に歸すを祭る國の方なり。
吾國は、天降ります神、地生れます衹。
開闢このかた鎮座すは、幼児と雖も知らざることなし。
頻説施さば、恐らく鎮座を疑わしむ。
齋元国に於いて講説すること勿れ。』

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自分の国の元々からの姿勢は、そんなの古いよ~と言わず、知っておくべきで、それを学んでおこうという意識は大事。
そういう考え方を、父はしておりました。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2017年01月13日

聖徳太子憲法を読む 日の主道 儒士憲法第十一条

日の主道 儒士憲法第十一条

『孔子は怪力亂神を語らず。
其の欲む所は、常道の治倫にある故に語らず。
是れ異儒なるのみ。
吾國は彼の方と同じからず、怪は神の功用なり。
説かざるときは神徳を無みせむ、神は吾國の徳盤なり。
説かざるときは齋元を無みせん。強いて此の句に依る者は
吾國の罪人なり。』

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本年第1回目のブログです。
この1年も、よろしくお願い致します。

小学館文庫から1998年に発刊された三波春夫の著書『聖徳太子憲法は生きている』をご紹介していますが、本日は、「通蒙憲法17条」「政家憲法17条」につづく「儒士憲法17条」のうちの第11条です。
本日の条文も、聖徳太子の作られたもので当時のものですが、父の解説にありますように、現代だからこそ、素直に深く読み取りたいものだと思います。

ちょっと非日常で、ムズカシイ条文を、また来週からご紹介して参りますが、お読み頂けますようお願い申し上げます!

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2016年12月23日

聖徳太子憲法を読む 花の事道 儒士憲法 第十条

花の事道 儒士憲法 第十条

『異國を撃つは孔子より言あり。
孟子に於いて名あるは、是れ聖道に於いて害あればなり。
楊墨苟告は其の人なり。未だ曾て黄老西方に及ばず。
今の凡儒は恣逸にして、必ず黄老佛神に及ぶこと
孟子に足らざること無し、外に眞至佛神までも撃つ、
即ち聖を破り、政を破る。その罪、叛逆よりも甚だし。』

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立派な条文、儒士の話のあとにナンですが、
他人をソシルのは、自分にきちんとした自信がないからではないか。
人には優しく、自分には厳しく、を自戒しなければ、ね!
というようなことを、父と話したことがあります。

新しい藝の形を追求していて、作品づくりをする日々で、父は、孤高であることを良しとすることも必要だったかと考えます。
心が強くないと、やり抜けないことであったろう、と身びいきで思う私です。恐縮です。

そういう、三波春夫の歌藝の宣伝マンでもあるハルオロイドが来週あたりに、音頭風「PPAP」をリリースします。

なかなか面白いんですよー。
You Tubeで、ご覧になってください!

さて、本年のブログは本日までとさせて頂きます。
この1年も、お読みくださいまして、ありがとうございました!!
来年は1月13日にスタートします。
よろしくお願い致します。

良いお年をお迎えくださいませ!!

2016年12月16日

聖徳太子憲法を読む 龍の謙道 儒士憲法 第九条

龍の謙道 儒士憲法 第九条

『儒士は湯武を以て聖となし師となす。
異國は理を尊ぶが故に咎なくも、吾國に臨みてはこれ齋元の
罪人なり。齋元の法を尊び、君の理を立てざるときは、
寶祚を危うくし以て天をも亡ぽすに當るなり。』

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国の文化の違いは、永遠に課題ですね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2016年12月09日

聖徳太子憲法を読む 冠の位道 儒士憲法 第八条

冠の位道 儒士憲法 第八条

『大學を講ずるに、主上に非ざれば平天下を唱うる莫かれ。
宰職に非ざれば治國を説かざれ。恐らくは、庶民をして州邦を望ませしめ、造士をして天下を望ましめん。
これを齋元を破り、寶祚を危うくせむ。吾國の法は欲なく邪なきなり。其の望みを促す誨は悉く停止せよ。』

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平和の尊さ、自由の尊さをしっかりと感じ考え、
各々が、これらを失うことのないように守る気概を持たなければならない、ですね。

さて、13日の20時からはBS11「あのスターにもう一度逢いたい」の三波春夫特集を、どうぞご覧ください!

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2016年12月02日

聖徳太子憲法を読む 冠の位道 儒士憲法 第七条

冠の位道 儒士憲法 第七条

『儒を學ぶ者は異國園を貴び、異の先王に歸す。
故に吾國を卑しめ吾が先皇を放す、是れ唯異法を知りて
吾を知らざるに依るなり。
異王、吾に讐せば必ずや彼に黨を計らむ。
故に學を為さば先ず、吾の儒を學びて吾が先皇を知れ。
何ぞ誤りて自らを棄て他に憑らしむるや。』

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今こそ、胸にズシンと来る内容です。
…聖徳太子がその当時に書かれたものなのに、と、あらためて思います、ね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2016年11月25日

聖徳太子憲法を読む 竹の官道 儒士憲法 第六条

竹の官道 儒士憲法 第六条

『儒の由るところ身を修むるのみ。
上古は、易暦遁甲あって修め、
中古は、本草内經あって修め、
下古は、詩書禮樂あって修む。道徳無為にして三古にわたり、
上は神を煉り眞に致り、中は心を煉り至に致り、
下は理を練り聖に致る。頃の儒は三皇を捨て三子を執る
此の間に偏我ありて、仁者の眉を密る所、
智者の唾を吐く所にして其の練る所を失う。
尚、遠きに下って當に、詩書禮樂を棄て、唯、理を後儒の
佞子に取り、周孔、於りも崇び道の廢れ制えられず。』

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何事も、ハショってはいけないのですね。
学ぶ順序を端折ってしまっては、身に付いた気になっていても、偽物なんでしょうね…。

ではまた、来週金曜日に更新いたしますが、思えば来週は師走になりますね。

気忙しい季節、どうそご自愛くださいませ!!

2016年11月18日

聖徳太子憲法を読む 鏡の智道 儒士憲法 第五条

鏡の智道 儒士憲法 第五条

『學問は是れ習いてさとるのみ。
學ぶに先聖の蹟に習い、問うに先聖の理を?にす。
文以て之を乗せ、 或は蹟をすて、理を取り之を用いるを學と謂う。
蹟なきの理は空理。理なきの文は空文。
なんぞ周孔の道となさむ、故に人の先にありて人従わず或は従えども利なし。 』

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自分が携わっている仕事や活動において、先人が開拓したことを見直してみて気付くこと、身に付くことってありますよね。
先輩の志を引き継いで工夫を重ねて、夢を実現させてゆく…。
それがいくつも出来たら、素敵です!
私めも、「三波春夫」の思いを継いでガンバルゾ、です。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2016年11月11日

聖徳太子憲法を読む 臺の政道 儒士憲法 第四条

臺の政道 儒士憲法 第四条

 『儒は是れ博識強記なり。
是れ致知機物を要とす、其の要は夫子の一貫たり。之を得るは則わち道なり。其の體は明徳。其の位は中庸。其の蹟は忠恕。曾子の忠恕を謂うは、空を謂うに非ず。王者は、尭、瞬、禹を師となし、臣者は周、孔、孟を師とせよ。
學ぶ所は徳にあり、故に徳なき賓は師となすに足ず。』

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徳のある人…。そうですね、いらっしゃいますね。
徳ですからね、得のある人、じゃないですからね。笑。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2016年11月04日

聖徳太子憲法を読む 月の禮道 通蒙憲法 第三条

月の禮道 通蒙憲法 第三条

 『儒の學は禮樂にあり。禮は人の儀を道め樂は人の和を調う。
 禮を學んで天の節文に諧い、
 樂を學んで天の運度に諧う。
 我を節するは禮なり、是れ儀は天にありて即ち我にあり。
 我を節するは樂なり、是れ調は天にありて即ち我にあり。
 禮樂、天我、皆教えはーなり。維則ち一に至る道なり、
 是れ人倫の常たるを訓え、纔にも撩る則は禮にあらず、
 何ぞ道にあらむ。』

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礼節と、人との和。
大人として大事なことが、今の時代、だいぶ軽視されていますね…。
憲法条文とはいえ、ホント、深くて厳しいですよね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。