2020年02月14日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『大物主尊とはどんな人物か②』

 さて、西暦一七七年頃、素佐之男大王は九州の邪馬台国の首都へ進攻されて、戦(いく)さをすることなく、女王・日霊女との交渉を深められ、三人の姫君を産(もう)けられて、五年ほど後に出雲へと帰られました。

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大歳ことニギハヤヒの大和行き、そして到着後の様子は次回分に書かれています。

また来週金曜日に更新いたします。

2020年02月07日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『大物主尊とはどんな人物か①』

 どこの神社を参拝したとしても、祀られている御祭神のことをまるで知らないのでは価値がありませんね。

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ニギハヤヒのお話は次回も続きます。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2020年01月31日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『三輪山へ登る④』

 ロケが終わって丁度お昼刻。名物の三輪素麺のお店へ参りました。

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俳号・北桃子(ほくとうし)の三波春夫の俳句2首で、山野辺の道の景色を思い描いていただけましたでしょうか。
素麺につきましては、屋外の席でスタッフの皆さんと共に、美味しくいただいたのでした。

さて、次回からは大物主尊(おおものぬしのみこと)のお話です。
また来週金曜日に更新いたします。

2020年01月24日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『三輪山へ登る③』

 小さな社に到着して永さんが、
「ところで三波さん、市杵島姫という女性はどうして航海の神様なんですか」

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相関関係の図などを書いてみないとコンガラガリそうですが、生きた歴史は面白いですね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2020年01月17日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『三輪山へ登る②』

 このとき、神社の禰宜(ねぎ)さんが、取材に対して案内してくださるとおいでになった。私は、

「出雲屋敷までは行きたいと思いますが、遠いでしょうか?」

「はい、かなり遠うございます。もちろん山の辺の道は通じておりますが......」

と、永さんが、

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本文にある会話は実際にされた会話です。
会話の中で、イスケヨリヒメとかスサノオシンクンとか、知り合いの名前を言うようにスラスラ言うのでした。笑。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2020年01月10日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『三輪山へ登る①』

 永さんと東京を出るときに約束していた日本最古・最大の神社へ、旅の最終日にいよいよ登ることになりました。

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本年最初のブログ更新です。
新年、おめでとうございます。
今年が、皆様にとって良い年となりますようお祈りいたします!!

さて、本文は、1997年に三輪山に伺ったときの会話でした。
永六輔さんが、三波春夫と話すことをいつもとても楽しんでくださって、ニッコニコの笑顔でいらしたことを思い出します。

ではまた来週金曜日に更新いたします。
本年もどうぞお付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

2019年12月20日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『橘寺④』

 『旧事本紀大成経』は偽書であると片付けていた古い時代の学者たちは、自分の喰い ぶちの出どころは領主たちでしたから、特に『政家憲法』などには恐ろしくてさわれ ませんでした。「臭い物には蓋(ふた)をせよ」と。それが国民の伝統となりました。

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三波春夫は、新潟の片田舎の、瀬戸物や印刷請負、そして本を扱う家で生まれました。
本名の“北詰文司”から「本屋の文ちゃん」と呼ばれたこの人は、歌手になってからも本とは大変に仲良しで…。
昼でも夜でも(お酒を飲まない人でしたので、特に夜には)時間をつくって、主に歴史書を読み、作品を書いていたのでした。

次回から、旅は三輪山へ進みますが、キリの良いところで今年のブログは本日でおしまいといたします。
来年もよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

2019年12月13日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『橘寺③』

 この宗祖と敬われた「上人」たちよりも、太子の学問を真っ先に勉強しなければいけないのは政治家なのです。そして教育界です。

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「思い上がり」は大なり小なり、人が持ちやすいものですね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。

15日は、BS-TBSの「三波春夫 大忠臣蔵の世界 演歌若手三人衆」をぜひご覧ください!

2019年12月06日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『橘寺②』

 私はこの旅で”大和は国のまほろば“と、しみじみ感じながら歩きました。

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「敬って恃まず」。三波春夫の、宗教や宗教家などに対する心構えでした。
要するに、神様仏様に頼ることなく自分を磨くこと専一に生きる、というタイプでした。
人としての生き方を見つめること、は、三波春夫の人生のテーマだったように思います。
そして、聖徳太子が残されたものを見つめ、歴史に残る人物を見つめ、著作や歌が生まれたのでした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年11月29日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『橘寺①』

 太子がここで誕生されたことは知られていますが、高内ご住職の御案内で、太子尊像を間近に拝むことができました。

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通蒙憲法第7条は、「公務員たちよ、怠けるなよ。朝は早く登庁し、夜は遅くまで仕事をすることである。自分の都合で早く帰ったりしたら、横の連絡もつかず仕事が片付かないものだ」でした。
今は“働き方改革”で時間のことは当てはまりませんが、「怠けないように」という憲法ですね。仕事を増やしたくないなどと考えて、成すべきことに背を向けたりしないように、人民のために誠心誠意を尽くして仕事をしなさいという、生き方を導く憲法のように思えます。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。