2019年09月13日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『国宝・中門の柱の形』①

 ギリシャ神殿の遺跡では、石の柱が堂々と建ち並ぶ偉観が印象的です。柱の中ほどが太くふくらんで、建物がどっしりと安定している感じを受けます。

<続きを読む>

心棒とエンタシスは関係がありますか、どうですか…。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年09月06日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』⑦

 ところで法隆寺には七不思議と言われるものがあって、その中でおもしろいのは、

<続きを読む>

聖徳太子を尊敬し、ファンである三波春夫の「魔除け説だけではない、鎌の謎の分析」はいかがですか?
物事を観るときに、その人物の心の躍動を観るような、そのような観方をする三波でした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年08月30日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』⑥

  参道に息を呑むなり法隆寺
  見上ぐれば天空に在る五重塔

<続きを読む>

冒頭の2首は、三波春夫の作です。
三波は若いときから俳句、和歌を詠む人で、折々に詠んだものを、劇場公演のパンフレットやファンクラブの会報には必ず掲載しておりました。
俳号は「北桃子(ほくとうし)」でしたが、ペンネームの北村桃児(きたむらとうじ)からのものでした。
では、北村桃児という名前の意味は、というと、「“北の村で生まれた桃太郎のように元気な子”ということ」と言っておりました。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年08月23日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』⑤

 子供たちとお年寄りが一緒に、お手玉やまりつきをして、触れ合い、笑い合って、語らう集まりを、音声館では年中やっています。

<続きを読む>

本文に、“歌というものが人間生活に欠くべからざる重要な意味を持っていることを知っています”とありますが、三波春夫がそれを深く知った原点はシベリア抑留でした。
仲間から求められては空き時間に浪曲を語り、演劇を披露したのですが、これらの娯楽がどんなに人に必要なのかを思い知ったといいます。
仲間が生きるために、そして自分も生きるために、抑留の4年間は捕虜としての労働の傍ら、いつも芸とともにあったのでした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年08月09日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』④

 「ありがとうございます。お忙しい中をお気にかけて戴いてすみません。何しろ奈良には、“歌の実家”がありますので」

<続きを読む>

文中にある方々のお役職は、当時のものです。

では、次回は再来週の金曜日に更新いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。

2019年08月02日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』③

 それから半月ほど後、製作担当のテレビマンユニオンのスタッフと打ち合わせをし、彼らはロケハンに飛び、そして出発は十一月四日朝、のぞみ号で京都へ。そこには九州から入った永さんがニコニコと待っていました。

<続きを読む>

どんなファッションで旅をしていたかといいますと、永六輔さんは“刺し子”のジャケットに帆布のバッグ、三波はセーター姿でした。

どちらも旅の名人。いよいよ旅が始まります。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年07月26日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』②

「奈良の音楽療法の荒井館長を始め、シルバーコーラスの皆さんと『明日咲くつぼみ に』を合唱する場面を、番組のラストにしてもらいましょう。
 それから、三輪山の大神神社は日本で最も古いお社ですが、私も一度参拝したいと 思っていたんですよ」

<続きを読む>

永さんと三波の、レベルの高い会話でした…。
これから旅は始まります。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年07月19日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』①

 その友とは永六輔さん。
 新曲づくりでコンビとなって以来、会うたびに話のつきない、皆様ご存じのごとく、魅力ある人物です
 永さんの近著『芸人』の中でも対談をさせて戴きました。

<続きを読む>

永さんとの会話はまだ続きます。

来週金曜日に更新いたします。

2019年07月12日

隠された古代日本史 その後の大日霊女③

 日霊女女王の御生涯は実に驚嘆すべき大事業の連続で、日本人の御先祖さまの代表とも言うべきお方が、これほど素晴らしい御存在だったことを知って私は驚きましたが、まさに女性は強い。まして、女王の強さは並大抵ではなかったようですね。

<続きを読む>

永六輔さんのお言葉が記述されていますが、次回からはその永さんとの旅のお話が始まります。

では、また来週金曜日に更新いたします。

2019年07月05日

隠された古代日本史 その後の大日霊女②

 外交面でも、中国の皇帝に対して堂々と友好親善の使節も送り(景初二年、西暦二三九年)、『鬼道をなして人を惑わす』と魏志に書かれるほどの大女王でした。しかし鬼道を行っては人が心服しませんから、この記事は信用できない気がしますが。

<続きを読む>

本日分も、「へぇー、そうなんだ」という皆様のお声が聞こえてきそうな著述でございました。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。