2018年08月10日

隠された古代日本史 歴史書は勝者の手で作られる⑤

 大海人皇子が天武天皇となられたのですが、少し謎めいたお方です。とても強気な天皇は御在位十三年のうちに何か残さなければとお考えになったのでしょう。『日本書紀』の編纂を命じられました。編集委員は十四人が任命されたと言いますが、どんな学者たちだったのでしょうか。

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次回からは、「日本書紀」「古事記」の話に入ってまいります。
来週はお休みさせて頂いて、次回の更新は8月24日です。

よろしくお願いいたします!!

2018年08月03日

隠された古代日本史 歴史書は勝者の手で作られる④

 さて、天智天皇が崩御されると、権力争いが過熱しました。

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甥っこを叔父さんが…、なのですね。
この叔父さん・天武天皇については、次回に続きます。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年07月27日

隠された古代日本史 歴史書は勝者の手で作られる③

 天智天皇が、百済救援軍二万七千人を出征させたのは、現代人にとっては謎とも言えるでしょうが、当時の日本人と百済人は同族の意識を持っていたのだそうです。

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チョッと為になる、くだらなくない、お話でした。笑。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年07月20日

隠された古代日本史 歴史書は勝者の手で作られる②

 そのときに、外敵の来襲に備えて四国の屋島に城を築いたり、 対馬には金田城、大和の本拠地には高安城を構築するなど、軍事工作に力を注ぎました。また、日本海側には、現在の新潟県三島郡寺泊町の辺りや新潟市の沼垂に渟足柵(蝦夷進出のための砦)を作らせ、更に村上市の岩船辺りと推定される場所に磐舟柵も築かせたのです。

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前回、天智天皇が百済救援で27,000の兵を出したけれども新羅&唐連合軍に敗れた、とありました。
その後に、外壁を作ったのは、現代の私たちも頷ける場所ですね。“地政学”は肝心です。
なお、沼垂はヌッタリ、渟足柵はヌタリノサク、磐舟柵はイワフネサク、と読むそうです。

ではまた来週、金曜日に更新いたします。

2018年07月13日

隠された古代日本史 歴史書は勝者の手で作られる①

 世界を通じて、勝者、すなわち権力の座に就いた者によって 歴史書が作り出されて来ました。

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これから、権力争いの歴史は続きます。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年07月06日

隠された古代日本史 先代旧事本紀大成経――とは何か⑧

 禅師は、綱吉公がおられた上州館林の黄檗宗・広済寺で十万人に戒を授けたと言われます。そのように凄い気迫のお坊さんだからこそ、『旧事本紀大成経』を世に問いたいと決意したので
しょう。

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本文にある、“申し込むと、精進料理が”というのは、現在はもう実施なさって
いらっしゃらないようです。

永六輔さんと三波春夫の不動寺訪問は、おとなの遠足のようで、揃って楽しそうでした。傍に居た私は、交わされる会話のアカデミックさに、到底ついていけませんでした…。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年06月29日

隠された古代日本史 先代旧事本紀大成経――とは何か⑦

 そして、禅師は七十二巻を弟子たちに持たせ、現在の群馬県南牧村にある「不動寺」へ上がられました。

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黒滝山の描写は、そのまま「長編歌謡浪曲」の啖呵(浪曲の中の、語りやセリフの部分のこと)になっても大丈夫のようなリズムがあります。
三波春夫らしい文章で、このような描写を実際に語っているのが、『長編歌謡浪曲 天竜二俣城』の序章です。
お聴きいただけましたら幸いです。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年06月22日

隠された古代日本史 先代旧事本紀大成経――とは何か⑥

 さて、江戸時代に大成経が偽書だと排撃されたいきさつを書きます。

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その「大成経」がどこにいったか、この続きは次回に~。

また来週金曜日に更新いたします!

2018年06月15日

隠された古代日本史 先代旧事本紀大成経――とは何か⑤

 話が広がりますが、山鹿素行の遠祖は山鹿兵藤次秀遠という山鹿党の頭領で、八百年の昔、三千の軍勢を率いて源平決戦の壇ノ浦で平家軍として戦いながらも、安徳帝を守って船団を組み密かに越後へ落ち延びて来たと伝説にあり、しかもその土地は私の遠祖に当たる大納言・平頼盛の所領地でした。

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人は、過去からの歴史を繋いで生きるものだと考えたら、やっぱり人生の困難を乗り越えながらも真っすぐに、イッショケンメイに生き抜かなきゃね、と思います、ね。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2018年06月08日

隠された古代日本史 先代旧事本紀大成経――とは何か④

 江戸時代の学者では「貝原益軒」ゃ「熊沢蕃山」の名がありますが、私が最も興味をひかれたのは赤穂浪士仇討ち事件、即ち忠臣蔵の武士道精神に深く寄与したと言われる軍学者で思想家の「山鹿素行」が、五十七歳であった延宝六年十二月二日に、この大成経を一日にして写本したという驚異的な記録があることです。

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山鹿素行について、三波春夫は著書「真髄 三波忠臣蔵」に詳しく書いております。三波論では、“山鹿素行は寛文6月年(1666年)に幕府への批判書を出し、赤穂に送られて閉じ込められること9年間。その間、赤穂藩の学問の師となりましたが、それによって赤穂の武士たちの中に育った人としての気概が、のちの赤穂浪士の仇討ちへとつながった”としています。

ではまた、来週金曜日に更新いたします!