2019年11月08日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『歌は芸能の始祖』①

 初めて人間が地上に作りだした芸は、生きている証しの歌でした。心と躰を震わせて響く。

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文中の「明日(あした)咲くつぼみに」は、この奈良の旅の前年、平成9年にリリースした歌です。
作詞が永六輔さん、作曲は久米大作さん。
永さんによる「三波さんが80歳になっても、90歳になっても歌える、声を張らない歌」というコンセプトで作られたのでした。
“声を張らない”というのは三波春夫にとっては初めてといっていい体験でムズカシイことでしたが、一生懸命工夫して優しい声で歌いました。
しかしやっぱり、声を張った箇所があったりします。ご清聴くださいませ。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年11月01日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『元興寺にて』③

 追記・『遠くへ行きたい』が放映されたあと、永さんに「あの柱のからくり、テレビを見ててわかりましたよ」とすぐに知らせた人がありました。コンピュータ・グラフィックスをやっている女性でした。また、私の知人も、「この間の柱は、こういう風に作ったのではありませんか」と、プラスチック材で柱の模型を作ってみせてくれました。

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「日本人は生産性が高い」。
この言葉を三波春夫が発するのを聞いたのは、取材を受けている最中、シベリア抑留時代を語っていたときでした。
“抑留中に、仲間を励ますために、戦時の前に職業としていた浪曲を語っていたけれども、そのうちに有志と共に演劇もするようになり、脚本、演出、主演をした。
その折、縄を湯がいてほどいて糸のようにして、それで島田髷のカツラを作った人がいたり、材料が無い中で皆で衣装も小道具も器用に作るのを見て、驚いた”
そういった状況を、「日本人は生産性が高いと、つくづく思いました」と語ったのでした。
無報酬の捕虜なのに、日本人捕虜たちは与えらえた仕事をしっかりと実行していたという事実。抑留の日々を振り返るときに、それは三波にとって、誇りとして思い出されることでした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年10月24日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『元興寺にて』②

改めて柱を見る。永さんを見る。笑いながら、?マークの表情のまま......。

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柱のお話は次回も続きます。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年10月14日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『元興寺にて』①

到着するやいなや、

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永さんが描かれた、柱のつなぎ方の絵は、文庫本「聖徳太子憲法は生きている」の279ページに掲載しております。
転載できずに、申し訳ありません。
キャプションには、永さんの字で“奈良・元興寺・茶室・独鈷継ぎの柱”とあります。
永さんと三波は、まるで寄木細工のようなパズルのような、不思議な柱のつなぎ目を、穴の開くほど見つめたのでした。

この続きはまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年10月11日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『夢殿に秋の陽燃えて身は震う』③

 母后が薨(みまか)られた後、この中宮寺にお祀りしたのですが、その御堂は水面に浮かぶ清例(せいれつ)な姿で、正面に安置された『弥勒菩薩(みろくぼさつ)』を拝見すると、太子の母君の面影を写し取ったと言われるだけあって、優しい微笑みに溢れておりました。

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思わず大きな声で歌いそうになった、というのは、ひょっとして、そこにいらっしゃる御魂か神様が「三波春夫の歌を聴いてみようか」と思われて、「歌いなさい~」と信号を送ったのかもしれません!?

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年10月04日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『夢殿に秋の陽燃えて身は震う』②

 さて、中宮という名称は、皇后に次ぐものとして皇室の系譜の中で重要なものですが、太子の母君は母違いの兄君、用明天皇と結婚されて太子をお産みになったことは知られておりますね。

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文中に、“ご覧になりました”や“御様子”などの丁寧な言葉がありますが、三波春夫は普段から乱暴な言葉を使わず、きれいな言葉使いでした。
それも、あえて使っています!というような不自然さはなく、身についていましたが、普段に使う言葉が舞台の上でも出るもの、として、おそらくそれを若い時から心がけていたことが長年の間にピッタリと身についていたのだと思います。
そして、丁寧な言葉は、人を大事に思うことにつながっていたように思います。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年09月27日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『夢殿に秋の陽燃えて身は震う』①

 古谷さんに案内して戴いて、広く長い参道を永さんと歩き、夢殿に辿り着きましたが、その途端に思わず我を忘れてしまいました。

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拝観、拝聴、拝読するとすぐに、その時代にそこに居て見ていたかのようにドラマを描けてしまうのは、三波春夫の特技でありました。
その特技から、たくさんの長編歌謡浪曲や歌謡曲が生み出されたのでした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年09月20日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『国宝・中門の柱の形』②

 ドイツの技術者が唸(うな)ったのは、日本の製品においては、心棒の中ほどがふくらみを持っていて安定していたからです。エンタシスの柱と同じ形をしているわけですね。

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歌手としての地方への旅は、必ず“公演”のための旅です。
ですが、この番組ロケの旅は“公演”は無いので、気持ちもちょっと楽だったようで、色々と気になるものを拝見するのも、ノビノビとじっくりと楽しんでいた姿が思い出されます。

ではまた来週金曜日に更新いたします。

2019年09月13日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『国宝・中門の柱の形』①

 ギリシャ神殿の遺跡では、石の柱が堂々と建ち並ぶ偉観が印象的です。柱の中ほどが太くふくらんで、建物がどっしりと安定している感じを受けます。

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心棒とエンタシスは関係がありますか、どうですか…。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。

2019年09月06日

まほろば紀行 永六輔氏と行く検証の旅『憲法を定めし太子偲びつつ 旅に嬉しや友の笑顔よ』⑦

 ところで法隆寺には七不思議と言われるものがあって、その中でおもしろいのは、

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聖徳太子を尊敬し、ファンである三波春夫の「魔除け説だけではない、鎌の謎の分析」はいかがですか?
物事を観るときに、その人物の心の躍動を観るような、そのような観方をする三波でした。

ではまた、来週金曜日に更新いたします。